トルコ旅行記 8日目

Horiuchi_H2011-08-14


8日目はサフランボルを出発して、トルコ一番の都市でありアジアとヨーロッパの間にある都市でもあるイスタンブールへ。


こんなルートで、トルコの西部から中央にかけてをグルッと回ってきたわけです。そして、最初に飛行機で着いたイスタンブールへ戻ってきました。イスタンブールは、歴史がある場所でローマ時代から都市があり、ビザンチン帝国の首都であるコンスタンティノープルもここのヨーロッパ側にありました。オスマントルココンスタンティノープルを攻略した際に、オスマントルコの首都もこの場所に移されたそうです。

そんなイスタンブールの旧市街には、ビザンティン時代に作れたアヤ・ソフィアとその後オスマントルコの時代に作られた最大級のモスクであるスルタン・アフメット・ジャーミー(通称 ブルーモスク)が並んで作られており、隣には15世紀から19世紀まで使われていたトプカプ宮殿があります。その三カ所を今回は見てまわりました。


まずは、ブルーモスク。ここは現在もモスクとして使われており、礼拝の時間は見学ができなくなっています。


中は大きな空間となっており、ここで大勢の人が礼拝を行うわけです。壁にはイズニックタイルが貼られ、たくさんの窓にはステンドグラスがはまっています。高い天井と大きなドームを支えている柱の太さは凄いことになってました。


その中央に位置するドームがこちら。遠近感が狂うほどの大きいドームです。直径が26mあるらしいです。壁や天井でタイルが貼られていない箇所にはくまなくフラスコ画が描かれていました。


次はアヤソフィア大聖堂。こちらはビザンティン時代には大聖堂だったものが、オスマントルコに占領されてからはモスクに改修され使われていました。大聖堂だった時代のモザイク画は、改修された際に漆喰などで埋められていたため、結果的に保存状態もよく現在でも見られるようになっていました。


こちらも中は広大な空間になってます。モスクとして使われなくなった現在も、大きな円盤は入り口から出せないため、壁にかかったままになっているそうです。中央のドームは33mあるらしく、下から見上げても大きさがよく分からないくらい途方もない大きさでした。


2階の壁に描かれている『デイシス』と呼ばれるモザイク画です。下部は失われてしまっているけれど、幸い人物の顔の辺りは残っています。中心にイエスが描かれており、左側にマリア、右に洗礼者ヨハネが描かれています。

こちらは2階の奥の壁に描かれている『キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ』のモザイク画。


その隣に描かれている『聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス、皇后エイレーネー(イリニ)』のモザイク画。中央のマリアに抱かれている子どもはイエス。上の画と同じ手の形をしてます。


東側の半ドームに描かれている『聖母子と大天使』。左側にも大天使が描かれていたと見られていますが、現在は残っていません。右側の天使もだいぶ欠けてしまっていますね。


最後に、トプカプ宮殿へ。ここは入り口の門です。奥にブルーモスクが見えるのですが、いまいち写ってませんね。。。
中は広く、いくつもの建物があります。増改築が繰り返されていたらしく、建築当時からだいぶ変わっているようです。


謁見の間として使われていた建物。


上の建物の内装です。綺麗な絵が描かれ、タイルが貼られ、豪華な内装でした。さすが世界の半分を支配したオスマントルコ帝国の宮殿ですね。

この後、スルタン(王)の自画像や宝物庫、聖遺物を収めた部屋等を見て回ったのですが、撮影禁止だったのでそれらの写真はありません。しかし、宝物庫にはオスマントルコが栄華を極めたのが分かるほど、貴重な宝石や装飾品玉座などが展示されており、1つ1つがいくらするのか分からない宝石が大量に飾られた剣やツボやら宝石箱やらがいくつもありました。あまりにも多いので、それぞれについているルビーやエメラルド、トルコ石などがただのガラス玉に見えてくるほど。
その中でも極めつけは「トプカプの短剣」と呼ばれる大粒のエメラルドが3粒付いている短剣と「スプーン職人のダイヤモンド」と呼ばれる 86カラットもある涙滴型のダイヤモンドです。どちらも宝石が大きすぎて現実感がなくなるほどの代物でした。ダイヤモンドは綺麗にカットされており、光の具合によって色々な見え方をするのでしばらく眺めてました。


一通り見て回った後に、宮殿のバルコニーで休憩。右側が金角湾で奥にボスポラス大橋が見えてます。いい景色ですね。


宮殿の最後に、中庭にあった水道。どこもこんな感じで豪華でした。


ホテルに向かう途中のバスから、「ヴァレンス水道橋」が見れました。ローマ時代のの水道橋で、コンスタンティノープルが作られた際に作られたものだそうです。

トルコ旅行記 7日目

Horiuchi_H2011-08-10


7日目は首都のアンカラを経由して、街全体が文化遺産となっているサフランボルへ。


カッパドキアを出発してアンカラへ行く前に、トゥズ湖へ寄り道。ここはトルコで2番目に大きな湖で、水深が深い所で2m程度しかない塩湖です。トルコで使われる塩の70%ほどが、この塩湖から採取されているそうです。ウユニ塩湖ほどではないけれど、波がないので水平線が空に溶け込んで綺麗な光景でした。


こちらは、アンカラの風景。さすがに首都だけあって都会でした。大きなビルなどもあるなか、すぐ隣に旧市街の古いレンガ造りの家が残っていたり、面白い場所でした。


サフランボルに到着し、まずはその日に止まるホテルに。サフランボルは、17世紀頃に作られた建物がそのままの建築様式で残されている街です。このホテルというか民宿?もそんな建物の一つです。


こちらが宿泊した部屋です。建築様式が古いのですが、一応電気は通っているので明かりやテレビは付きます。でも、エアコンはありません。また、バスルームも普通の部屋を宿泊施設に改築したらしく不思議なところにあります。


その衝撃の写真がこちら。なんと、バスタブがなくトイレの部屋にそのままシャワーが設置されていました。さらに部屋に寄っては、このバスルームの入り口がクローゼットの扉になっており、さらに不思議な光景になってました。今回、自分達が泊まった部屋は普通の扉でしたけど。


サフランボルでは、街を散策できる時間があったので古い町並みの中にある市場を見てまわりました。古い街並みがずっと保存されているため、狭い路地が入り組んでいて面白い場所でした。街の人達も優しくて、日本人と分かると「こないだの地震は大丈夫だった?」と聞かれたり、一緒に写真を撮ろうと言われたりトルコの中でもここは特に親切でした。

トルコ旅行記 6日目

Horiuchi_H2011-08-09


6日目、今日のメインイベントはヒッタイト王国の遺跡です。
しかし、その前にカッパドキアで作られる陶器のお店などに寄ってから遺跡を見に行きました。


カッパドキアの朝の風景。カッパドキアの風景を気球にのって上から眺めるのが人気なんです。しかし、年に一回くらいの頻度で死亡事故が起きてたり、人気があるので色々な業者が参入してきて問題が起きてたり、大変なようです。今回のツアー会社ではその辺りの事情もありオプションとして用意していませんでしたし、朝の出発が8時と早めなので気球は乗りませんでした。


こちらは、手作りのお皿。カッパドキアで作られている陶器です。この模様も、全て手書きで書かれたもので、凄い細かいですよね。素晴らしい出来ですが、田舎で物価が安いのでそれなりのお値段で買えるようでした。


そんな訳で、ヒッタイトの遺跡に到着。まずは、ヤズルカヤ神殿跡に。大きな岩壁に、神像が掘られていました。これが紀元前15世紀頃に作られたと言うことに驚きます。そして、それが現代まで3500年という途方もない時間を超えてまだ残っていることがさらに驚きですね。この辺りは雨があまり多くないことで、風化が遅いのもあるのかもしれませんね。


ヤズルカヤ神殿跡では、こんなにくっきりと残っているものもあります。場所によっては岩が割れてしまっていたり、だいぶ削れてしまっているものもありますが、貴重な像がこれだけ残っていることに感謝です。
ヒッタイト人は最初に鉄を使った民と言われており、エジプトの壁画にもヒッタイト軍の戦車の絵が残っていたり、一時期は栄華を誇ったようです。


次に、ハトゥシャシュの都市遺跡を見に行きました。山の上の方に都市が広がっており、全部で凄い広さになっていました。この写真に土台になった石が見えてます。この後ろが城壁だったらしく、この辺り一帯が城壁に囲まれた都市だったようです。


これはライオンの門です。城壁には、当然何箇所が出入り口が設けてあるわけですが、それぞれの出入り口にはこの様な門がありました。城壁は結構な高さがあり、こんなものが3000年以上昔に作られていたのかと考えると凄いですね。それに、こんな山の上まで大きな石を運び上げる労力は並大抵のことではなかったでしょうね。


こちらはスフェンクスの門の下にある、通用口です。門はこの丘の上にあるんですが、山頂にあたる場所なので通常はこちらを使用し、有事には侵入者が入ってきた所で火を付けたりして通れないようにしていたらしいです。このトンネルも作れたもので、内部の壁はアーチ状に石が積まれていました。これを作るためだけにもどれだけの労力が使われたんでしょうね。


こちらは王の門。ここにある王様のレリーフはレプリカですが、ヤズルカヤ神殿と同じような絵柄ですね。もちろん同じ人達が作ったものなので当然なんですけど。それぞれの門が、バスで10分くらい移動するほどの距離ですから、凄い広さですよね。

この日はまたカッパドキアに戻り、同じホテルに戻りました。

トルコ旅行記 5日目

Horiuchi_H2011-08-08


5日目は、コンヤの街を出発してカッパドキアへ!
その前に、シルクロードの途中にあるキャラバン・サライ(隊商宿)へ。今は、石造りの部分しか残っていませんが、12,3世紀頃のセルジュクトルコの時代にシルクロード沿いに整備された宿だそうです。商人達が立ち寄った際には、色々なサービスが無料で受けられたそうです。そうしてトルコは交易によって繁栄していったそうです。頑丈そうな石造りの壁が物々しい雰囲気です。それだけ、当時は物騒だったんでしょうね。

さて、今日のメインイベントはカッパドキアの観光です。


ですが、まずは手織りの絨毯の作り方などを見学。実際に手織りをしているところを見学したり、絨毯を見たり。そもそも手織りの絨毯は、紀元前20世紀くらいまでにモンゴルかトルキスタン遊牧民達によって作られたと言われている。セルジュクトルコはこの遊牧民達の末裔に当たるので、その文化が受け継がれている。ペルシャやヨーロッパには、セルジュクトルコが作っていた絨毯が伝わっていったと考えられている。そんな訳で、トルコの絨毯が起源に近いもので、丈夫で実用的でもある絨毯だそうです。


カッパドキア地方の中心部に近づくと、こんな風景が見えてきます。


興奮を抑えつつ、昼食は洞窟の中にあるレストランでした。洞窟の中と言う立地だけで、全て許せる気もするんですが、人も多かったせいか*1中は蒸し暑かったです・・・。


さて、最初のスポットは「カイマクルの地下都市」です。4世紀頃のキリスト教徒達がアラビア人などから隠れ住むために、地下を掘って住んでいたそうです。この地下都市は何層にも、アリの巣のように部屋があり礼拝堂や貯蔵庫、台所などがありました。水は地下水を井戸で組み上げていたそうです。しかし、ずっと陽の光が当たらない地下に居る生活というのはどうだったんでしょうね。さらに、このような地下都市は他にもいくつか見つかっており、地下深くの通路で繋がっていたと考えられています*2


お次は、「三つ子岩」と呼ばれる岩です。これが自然にできた風景とは信じられないですね。誰が上にのっけたんでしょう?


こちらは「ラクダ岩」と呼ばれるところです。不思議な形に侵食されたものですよね。この周りにも色々な形の岩がありました。


最後に「ギョレメ国立公園」へ。この辺りは、一面このような現地で「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩が連なっています。そしてこの辺りも昔に住んでいた住居や教会などが残っており、見ることができます。


本当に不思議な光景ですね。こんな中をしばらく散策し、トルコアイスを食べたりして今日の観光は終了でした。

本日は、カッパドキアの洞窟風*3ホテルに宿泊しました。

*1:空調は一応あったんですけどね

*2:現代では、それっぽい通路があったが途中が落盤で埋まっていたため、実際に繋がっていたのかは確かめられていない

*3:内装が

トルコ旅行記 4日目

Horiuchi_H2011-08-07


今日はパムッカレの観光です。
前日に、遠目で白い崖が見えていたのですが、それはほんの一部だったことが判明。石灰を含んだ温泉が湧き出ていて、この石灰分が崖を流れる途中で徐々に沈殿していき今の白い崖ができたそうです。パムッカレという名前は、トルコ語で「綿の宮殿」と言う意味がありこの地方が綿花の一大産地であることと、白い崖が綿のように見えることから名付けられたと見られています。


そんなパムッカレの風景はこんなでした。普通鍾乳洞の中でしか見られないような風景が、野外にある不思議な光景でした。靴を脱いで岩棚になっている箇所に入ることができます。温泉はあまり温度は高くなくヌルイ感じでした。ただ、水が流れずに溜まっているかしょなどは砂があったり、ゴツゴツしていたり、結構足の裏のツボを刺激される場所でした。


近年、パムッカレの温泉の水量が減っているため、この白い範囲が徐々に狭まってしまっているらしいです。原因はいくつかあるようなのですが、色々なホテルが温泉を引いてしまっているのが一番大きな問題のようです。どこも似たような問題を抱えているんですね。


このパムッカレがある台地の上には、ヒエラポリスと言われるローマ時代の都市の遺跡があります。この写真は、発掘作業中の劇場だと思われます。発掘作業中のため近くに寄れないので、小さく見えますがそれなりの大きな都市だったようです。何故ここに都市があるかと言われたら、それは温泉があるからですね。ローマの人々もお風呂に入る習慣があったので、このパムッカレは温泉の保養地として栄えたと言われています。
また、クレオパトラも入ったと言われるプールも現存していて、現代もプールに入ることができるようになっていました。


この辺りは、サクランボの産地でもあるらしくお皿いっぱいのサクランボが 5TL(トルコリラ*1とお安かったです。アメリカンチェリーのような赤黒い色でしたが、味はとても美味しく大満足でした。

そんなパムッカレを堪能した後は、バスで移動しコンヤという都市へ。ここはトルコで4番目に大きな街だそうです。

*1:約250円

トルコ旅行記 3日目

Horiuchi_H2011-08-06


3日目。ようやく、時差ボケが収まってきたところです。朝食は、もちろんパン&ハチミツと、チーズやヨーグルトを頂き満足。毎日400〜500km程度移動することになるので、またバス移動。

最初に休憩のため止まったお店で、ハチミツ入りヨーグルトが売られていました。これは、添乗員さんもお勧めしていたので食べたのですが、美味しかったです。是非、食べるべきですね。結局、この旅行で売られていたのは、このお店だけでした*1

さて、3日目のメインイベントはエフェソスの遺跡です。大規模な都市の遺跡で、アルテミスの神殿が近くにありギリシャ人都市だったそうです。昔は港湾都市として栄えていたため、発掘されたものだけでも大規模だったことが伺える広さがあります。せっかくなので、今日は写真多めでいきます。


まず最初に目に入るのがこのローマ様式の浴場跡。ここはまだ序の口。


次に、小劇場とも呼ばれる音楽堂の跡。結構な大きさがあるがあくまでも小劇場。ここは脇の入口がトンネルになっていたり上まで登れたりします。この写真はまだ中段辺りから撮ったもの。


最初の通りの突き当たりにあった、女神ニケのレリーフ。通りのアーチの一部だったらしい。


その先は緩い下り坂になっていて、景色がよく見える。人の大きさから広さを察してください。この正面に見えるのは、図書館のファサードです。


下り坂の途中にある神殿跡。ここは入り口付近だけしか発掘されていないため、まだこの奥には何もありません。それでも門のレリーフが綺麗に残っています*2


そして一番インパクトのある図書館のファサードです。二階建てのように見えるけれど、実際の内部に2階はなかったそうです。それでも、羊皮紙で書かれた蔵書が最大1万2千冊保管されていたらしいです。戦争等で全て焼かれてしまって、現代までは残っていなかったそうですが。


そして、図書館の入り口からきた道を振り返った景色になります。色々と、見どころが多くて困っちゃいます。


それからだいぶ先へ進んで、こちらが大劇場です。こちらの収容人数は2万4千人らしいです。舞台装置としても良くできていて、舞台の音がちゃんとよく聞こえるような構造になっていました。こんな大きなものが2千年前くらいには既にあったことに驚きますよね。


こちらは、港へ続く道です。当時はこの先が港になっていたそうですが、現在はすっかり海岸線が遠くなってしまっています。


最後に、先ほどの大劇場の全景。これほど大きいので、全てを収めるにはだいぶ離れる必要がありました。
エフェスの遺跡は以上で終わりです。

この後、アルテミス神殿跡へ行きましたが、現在は柱が1本残っているだけの寂しい風景でした。最初の写真がそれになります。後ろに、ビザンチン時代の要塞とモスクも写っていますね。

その後、昼食を取った後はひたすらバスで移動してパムッカレのホテルへ。パムッカレの観光は明日のお楽しみです。
泊まったホテルは、温泉を引かれていて温泉のプールと、さらに各部屋のバスタブに温泉が出る蛇口が付いていました。そんな訳で温泉プールで遊んで、最後に自分の部屋で温泉を堪能してました。

*1:ブッフェ形式の食事の時に自前でヨーグルトにハチミツかけるのは可能ですけどね。

*2:現在あるのものはレプリカで、本物はエフェス考古学博物館にあるそうです

トルコ旅行記 2日目

Horiuchi_H2011-08-05


まずはトルコで最初の食事。朝食はブッフェ形式だったので恐る恐る見慣れたものをチョイス。トルコではパン・ハチミツ・チーズは問題なく美味しいですね。トルコは小麦の産地でパンの作り方は政府によって決められているくらい大事なものらしく本当に美味しいです。さらに、ハチミツも特産品で毎朝食べてしまったくらい美味しいです。チーズ類は、ちょっと塩っぱいのもありますが新鮮なものはやっぱり美味しいですね。

朝食後、バスで移動開始。街を離れて郊外になると、北海道のように広大な土地に小麦とヒマワリの畑が広がっていました。そんな中、国道を100km/h*1で移動していくことに。最初の停車したところは、道の駅のような場所で トイレが 50Kr(クルシュ)*2と有料でした。トルコではトイレが有料のところが結構あるようです。実際、その後立ち寄った場所でも何箇所か有料の場所がありました。
その後、ひたすらバス移動。途中で昼食を取った後、ダルダネルス海峡をフェリーで渡り、トロイ遺跡へ。

あのトロイの木馬トロイア戦争があった場所が本当に実在するんですね。その戦争があったのが、紀元前1200年頃と言われています。そして、このトロイの遺跡にはそれより古い住居の後も残っていて、一番古い時代のものは紀元前3000年頃のものらしいと分かっています。発掘自体は、まだまだほんの一部しか完了していないけれど当時の石壁やローマ様式の水道管や柱の残りなど、色々なものが無造作に置かれていました。やはり、このアナトリア半島は、チグリス川・ユーフラテス川・エジプトなど古代文明があった土地と近いので、人類の最初期の頃からすでに歴史があるんですね。6000年も昔なんてなかなか想像できないけれど、そんな昔から人は生活を営んできたのですね。

2日目のホテルは、アイワルクと言う町でエーゲ海に面したリゾート地らしいです。泊まったホテルもリゾートホテルで、ホテルのプライベートビーチがあったのでちょっとだけエーゲ海で遊ぶことができました。

*1:制限速度は守っています

*2:0.5TL(トルコリラ